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ドクターユキオフィストップ >> ようこそ! ドクターユキオフィスへ >>喜田寛氏

社長、経営コンサルタント、発明家、数々の資格・学位取得者としてジャパン・ビジネスの波間をしなやかに駆ける臼井由妃が、時代を牽引するゲストに迫る対談コーナーです。
毎回、各界をリードする著名人を迎え、とびっきりのトークをお送りします。
連載第八回のお客さまは、日本では唯一、話し方を超え生き方を問う“話道”の世界を確立した喜田寛氏。
自らが経営していた整備工場が倒産した後、“話道”をもとにした教育事業を志し、苦難の末に念願の話道塾を開設した人物で、日本のみならず世界を股にかけて活躍されています。
ドクターユキならではのシャープ&ホットな質問、にゲストの意外なホンネが飛び出すスペシャル・トークをお届けします。
PROFILE
喜田寛
HIROSHI KIDA
コミュニケーションアドバイザー。1945年兵庫県淡路島生まれ。1972年、話し方の研究を行う中、生き方の原点を求め人間の心の調和をはかる
独自の自己表現話力講座を提唱。日本では唯一、話し方を超え生き方を問う、“話道”の世界を確立した。勤めていた車の整備工場に跡継ぎがないことから、会
社を引き継いでオーナー社長に。順風満帆で事業が進展すると思われたものの、資金難から5年で倒産。借金取りに追われるなど、人生のどん底を経験する。身
につけた話道をもとに、人と接し導く教育事業での再起を目指し、世過ぎとして郵便車の運転手をするなど、多くの苦難に遭いながらも天性の明るさと粘りで乗
り越え、全国からの絶大な支持のもと話道塾を開塾。鋭い感性をともなう生き方は、多くの方々に夢と希望、そして感動を与え大変好評を得ている。またプロの
スポーツ選手等にもメンタルトレーナーとしてコンサルティングを行っており、成果を発揮している。経営者や各団体の講演活動を精力的に行い「良い人間関係
づくり」をテーマに、話道を全国に展開している。著書に「話す力は心の力―話す力で、変わる人間関係」(知玄舎刊)がある。 |
PROFILE
臼井 由妃
YUKI USUI
1958年生まれ。東京都出身。東京家政学院短期大学家政学部卒業。株式会社健康プラザコーワ代表取締役。短大卒業後、さまざまな職種を経験し1991年、33歳で28才年上の夫と結婚。同年、病気を機に一線を退いた夫にかわり健康器具販売会社経営の道に。1995年に発明した男性機能補助用具「パワーリングネオ」は、2005年現在40万個を売る大ヒット商品に。1998年「健康医科学博士号」、ハワイアンカレッジより「名誉学術博士号」、2000年「経営学修士(MBA)」、2001年「理学博士号」を取得。平凡な主婦が社長に転身、5年で100億円企業に成長させる。現在、起業プランナー、経営コンサルタント、発明家、作家として活躍中。健康・美容・ダイエットの分野にも精通し、若い女性に多くのファンをもつ。全国で行われる講演は年間約100件にのぼり、官公署、地方自治体、学校法人、中小企業団体など幅広く行っている。2003年、日本テレビ系「マネーの虎」に出演。温かさと厳しさが備わったコメントにより人気を博す。「忙しい人の即効!勉強術」「Dr.ユキの楽学合格法―資格で億万長者になる」「金なしコネなし経験なし社長の超・経営術」等著書多数。 |
臼井 「板越ジョージさんからのご紹介をいただきまして、今回は喜田寛先生をお迎えしています。失礼ですが、これまで対談させていただいた方の中
では最高齢でいらっしゃいますが、精神的にはとてもお若くて、お肌もつるつるでフレッシュな方です。初めまして、よろしくお願いします。」
喜田 「よろしくお願いします。」
臼井 「いつも対談させていただく前には著書をいただいたりプロフィールを拝見させていただいているんですが、ただ、あんまり固定概念や予備知識
は入れない方がいいかなっていう風に考えているんです。と言いますのも、対談の冒頭でお互いの第一印象についてお伺いしたいからなんです。でまず、私の第
一印象について教えていただけますでしょうか。言いにくいことも言っていただいて結構ですから(笑)」
喜田 「今日、臼井さんにお会いして一番印象に残ったのはね、そっと声をかけられたことなんです。普通、初対面の相手って声をかけにくいじゃない
ですか。でも、臼井さんは先ほど入ってこられてまず声をかけてくださった。そのことに非常に親しみを感じたんです。これが第一印象です。だから、こちらか
らもすごく声がかけやすくて。声をおかけしていいかどうか、迷わせなかったっていうところで凄さをちょっと感じさせました。」
臼井 「ありがとうございます。実は、気をつけていることのひとつでもあるんです。ただそれをあからさまにしてしまいますとちょっと嫌味なので、お仕事をする相手、あるいはお友達になりたい相手、やっぱり声のかけやすさとか近づきやすさが大事だと思うんですね。じゃあ私の方から先生の印象を。率直に
言いまして、ご本やホームページで事前にお写真を拝見していたんですが、これも失礼な言い方ですが、外見が非常にお若くていらっしゃるので、弟さんがいら
したのかなと思っちゃいました(笑)。お世辞抜きに、お若くてお肌がつやつやで。あと、お仕事柄か声のトーンが非常にはっきりしているのが何より好印象で
した。」
喜田 「ありがとうございます。」
臼井 「ご本でも“咲顔(えがお)が大事だ”という内容を書いてらっしゃいますけど、そういうものも身を持って現している方じゃないかな、というのが率直な第
一印象です。それでは、ビジネス的なお話に入らせていただきたいと思います。まずは、今のお仕事を始められたきっかけについてお話いただけませんでしょう
か?」
喜田 「今の仕事をやる前にやっていた会社が倒産してしまい、仕事がなかったんですね。まあ、借金を返していくこと
はなんとかできたんですけどね。でも、40歳になってもその仕事で生きて行くのはいやだし、倒産して裸一貫で、惨めな状態なんだけれども、自分の中では天
職じゃないって思ってましたし。その時たまたま、10年ほど話し方の勉強してたんですよ、趣味で。」
臼井 「それはお仕事をしながらしてらっしゃったんですか?」
喜田 「そう。夜、学校に通って。27歳から話し方教室に通って、そういうコミュニケーションのとり方を勉強してんです。放課後は生徒さんに教えたりもしてました。生徒さんから好かれたんですね。それで、僕は人間関係の仕事が合ってるんじゃないかなと思って。」
臼井 「自分にピタッとハマる仕事が見えたということでしょうか?」
喜田 「ええ。とある本で、『念』という字を『おもい』と読ませていたんですね。それを見て、これだ、この字は絶対に実現する字だと思って。で、40歳になった時に『話し方の講師で行こう』と決めて、それからトラック運転手を3年間。」
臼井 「は〜、意外ですね。」
喜田 「お金を貯めるためにトラックに乗って。とにかく、ネクタイ締めて大きな会場で講演している自分を夢見てですね。」
臼井 「イメージして…、そうですね。」
喜田 「明けても暮れても明けても暮れてもね、もう自分が生き残る道はこれしかないと。文字通り『念』の一途。倒産して、借金取りに追いかけられて
るうちに、念(おもい)を実現させるための強さが身に付いたみたいで。なんて言うかこう…離さなかったよね、『話し方の講師に絶対なってやる!』っていう
念(おもい)を。」
臼井 「目標がぶれなかったんですね。」
喜田 「ぶれなかった。倒産した時に追いかけられた辛さを考えると、念(おもい)を持って生きるってことは辛くなかったんですよね。だから、『これを念(おも)っておけばなれる』というのが自分の中に徹底してありましたね。」
臼井 「ああ、素晴らしいですね。ということは、倒産したという事実は事実としてあるわけですけど、今となってはそのことは自分にとってはいいことっていうのは失礼かもしれませんが、今のお仕事やお立場は、それがあったからこその…」
喜田 「ええ、だから、あの経験があったおかげでこの仕事が成り立っていると思います。」
臼井 「痛さが分かっているから、逆に人に対して優しくなれるし。そうですよね。なるべくそれはしたくない経験だったかもしれないけれども、そのことによっても自分のやりたいこと、目的、邁進する姿っていうのがピタっと見えてきて。」
喜田 「ピタっとね。すごくよかったですね。だから今やっていて本当に天職だと思うし、どん底を経験しているわけだけど、そのどん底から本当に前向
きに考えた時に、こんなにパワーを得ることができるんだ、って。いろんな社会を見ていて、くじけている人がいるんですけれども、その場その時だけの人生で
見ないでほしいな、と思いますね。」
臼井 「そうそう、そのポイントポイントで捉えちゃうんですよね、辛いと。今辛い、明日辛い、お金ない、どうしよう、じゃあどうするか、って短絡的
に考えちゃうんだけれど、お金がないならないで、ないお金をどうするか工夫をする。自分も辛いけど、もっと辛い人だって大勢いるだろうと。今日より明日
もっと良くなろうっていう、そういう考え方ができるかどうかっていうことですよね、大事なのは。」
臼井 「先生の場合は、倒産という辛い現実があったが故に、自分をリセットすることができて、目的が明確になって、道がパーッと開けちゃった、ということですね?」
喜田 「その通りなんです。だから、そういう意味では辛いけど辛くなかった。一番辛かったのは、お金があれば借金の返済に回していたから、食べるためのお金がなかったこと。」
臼井 「それは確かに辛いですね。」
喜田 「そういう時に限って友達がお金を貸してくれなかったりとかね。ただ、貸してくれない代わりに、タダで食べる方法を教えてもらったりしてね。
冗談で言ったんだと思うんだけど、コンビニの弁当を拾って食べるという体験もしました。俗に言う賞味期限切れのやつをね。そんなことを経験しているか
ら、今できないことってほとんどなんですね、僕は。」
臼井 「なるほど。おそらく、『自分は他の人に比べればまだましだった、自分より辛い人は大勢いる』と思ってらっしゃるんじゃないでしょうか、『ポジティブ』という意味なんですけど。愚痴をこぼす方って、自分ほど不幸な人間はいないとか、私は努力してるのに、ていう方が多いじゃないですか。努力して
ない人ほどその傾向がある。本当に努力している人はさらっとしていますよね。」
喜田 「仕事柄、大勢の人に会いますが、まったく同感ですね。」
臼井 「またそういうさらっとしている人ほど伸びますよね。」
喜田 「そうですね。だから、苦労かぶれって人はダメですね。」
臼井 「そうですね、だから私も自書の中で『苦労の押し売りは運を逃がす』と書いてるんですね。苦労を売り物にするのはタレントならいざ知らず、一
般人はしちゃいけないと思います。そういうご経験も踏まえた上でお聞きしたいんですが、今いわゆる“起業ブーム”ですよね、確認会社制度もあって株式会社
が1円でできるとか、いろいろな追い風になって、私はある意味でいいことだと思うんですが。おそらく先生のところにも、何かビジネスを始めたいだとか、い
ろいろなご相談もあると思うんですけれども、そういう方々を見て、何か感じることはございますか?」
喜田 「そうですねえ。若い方を見て一番感じるのは、理想を追い求めるんじゃないかなと。頭に描いた自分のドラマ的なものでね。そういう意
味では怖さを感じます。『すごい視点でものを見てるな』という、感心する面もあるんですが、でもやっぱり挨拶ができないとか、年上であるこちらがなにかを
投げかけても返事が来ないとか、人間としての一番大事なものをちょっと忘れた方も多いように思うんですね。」
臼井 「そうですね。実は先日の板越ジョージさんとのお話の中でもちょっと出たことなんですけども、テクニックとか技術の面、それからノウハウはとても
お持ちなんだけども、それ以前にね経営者としてなり人としてなりの本質がまだできていないのに、“理想”でね、経営者になりたいだとか、社長業をやってみたいだとかっていう方に安易に走っちゃう人が多いんですよね。その“理想”だけを追い求めるから、綻びが生じちゃって人がついてこない、困った時に誰も手
を差し伸べない、という状況に陥りやすい。いくらいいアイディアであっても…と、そういう方が多いんじゃないかなというのは私も感じることですね。」
喜田 「僕らは自分なりの“どん底”って言っていいのかわからないけど、いろんなことを経験してきて、本当によく今の自分があるなと、振り返ってみるとぞっとするくらいですけどね。だから今もそのことをイメージすると、人にはそういう体験をしてもらいたくもないし、できるだけ幸せになってほしいって
いう思いが強いので、自分が培ってきた経験なり能力なりを活かして、できる限りのアドバイスをしたりはするんですけどね…。それしかないですもんね。」
臼井 「ご自身のご本のタイトルで『話す力は心の力―話す力で、変わる人間関係 』というのがありますが、まさに先生が今おっしゃってることと同じですよね。今、コミュニケーションを取れない、と言うか取りたがらない、人と接すること
を怖がるっていう人が多いんですよね。その極端な例をいくと引きこもりとかになっちゃうと思うんですが、機械とは接することができるけれど、生きているも
のには接せないという人が多いんですよね、確かに。そういう風潮を目にして何か思うことはありますか。」
喜田 「日本の先行きに不安を感じますよね。そういう方がもし結婚されて、はたして子育てができるかどうか。そういうことを考えると、非常に不安という
か、そういう方々に本当に人間の温もりを伝えれば、人間関係の楽しさってわかってくれると思うんですけど、今の日本にそういう人たちを教えるというか指導
するっていうシステムがあまりないと思うんです。」
臼井 「そうですね。心というのはとても表しにくいものなんですけど、例えばルールに則って淀みない話し方をすれば相手の心に響くかと言えば、それ
は必ずしも真ならずだと思いますし。むしろ、下手な話し方ではあるけど心に響く話し方っていうものはいくらでもあるわけですし、その辺りはやはり人と多く
接して、自分なりに会得していかなければだめなんじゃないでしょうか?」
喜田 「そうですね、やっぱり人と接する機会を増やすしかないでしょう。そういう機会は、家庭環境にもいくらでもあるんじゃないかなと思うんです
ね。親、兄弟たちが人と接している姿を率先して見せていくっていうのが大事なんじゃないでしょうか。親が“外に出ない”人ってのは子どもも外に出ないです
から。これを僕らが持っている能力をお裾分けすることで力になれるんだったら、いくらでも応援してあげたいっていうのがすごく強いですよね。」
臼井 「起業したい、自分でビジネスをやりたいという方が大勢いるんですけれども、じゃあ商品としての物がある、情報があるとしてもそれを伝えるの
は機械ではなくて人のわけですから、そこができないからビジネスも前に進まないということをすごく私は見てきているんですね。ですから起業する前に、起業する気持ちはとても大事ですけれども、人間としてのモチベーションをあげるにはどうしたらいいか、話し方はどうしたらいいか、しぐさはどうしらたいいか、
ということを学ぶ必要があるんじゃないでしょうか。本当は人に聞くものでもないとも思うんですが。」
喜田 「そういう子たちにどう手をつけたらいいか、学校でも家庭でもわからない。この状況は僕らから見たら本当に大変だなと。何をどうしたらそうなるの?って逆に聞きたくなるんですが。」
臼井 「疑問ですよね。なんでできないの、なぜ分からないの、と疑問に思われると思うんですけど。」
臼井 「具体的なビジネスのお話をお聞かせください。比較的短期的な計画や企画なり、あるいはこの先5年〜10年というスパンでの計画などを教えていただけますか。」
喜田 「短いスパンで考えると、ルーティーンで組んでしまったスケジュールをこなすのが最優先で、新しい大きなことをやっていくというのはなかなか
難しいんですが、その先にはやりたいことがもう山ほどあるんです。例えば、コミュニケーションの楽しさっていうものを、日本だけじゃなしに世界にもって行
きたいですよね。極端に大きな話をすると、国連の中でも対外関係ってうまくいってないわけですもんね、国と国と国の間でね。日本と近くの国でもね。そういう状況に対して、何かしら僕の能力を生かせないかなっていうことを考えているんです。何が原因でそうなっているのか、核心に迫るのはそう簡単ではないと思
いますが、利害関係を超えた、もっと国と国が豊かになっていくような大きい架け橋をね、作るために尽力したい、というのはありますね。」
臼井 「素晴らしいですね。」
喜田 「僕はこの仕事をしたいと思ったきっかけのひとつに、キッシンジャーという人がいるんですよ。僕が22〜3歳の頃にアメリカの大統領補佐官
だったキッシンジャー氏。この人が世界中を回っているのを見てね、僕はこうなりたいと思ったんですよ。それで、言わばまねをして、日本中はもう全部回った
の。日本の中では行ってない県はもうないし。だから最近ではニューヨークでも一回講演をやったし、自分を海外にどんどん出して行ってるんですよね。去年は
60歳を記念して、アルゼンチンを1ヶ月間1人旅したんですよ。アンデスの麓で12日間ホームステイして、そこで生きるとは何かとか、自分にどれだけの贅
沢が入ってるのかとか、いろいろ考えたり。言葉の通じないところでどれだけ能力が通じるのかとか。」
臼井 「ああ、そこですね。」
喜田 「いろんなことをやってきたの。で思ったことは、生きていく人間同士で言葉はいらないなってのが大原則でした。ブエノスアイレスでスペイン語分からない私がいて、でもフツーに買い物してるっていう(笑)」
臼井 「そこはすごく貴重な体験ですね。」
喜田 「咲顔と、本当にスマイルとね、カタコトの英語、カードとドル、あとは“OK”くらいの意思表示。要するに、価格がペソで表示されていて、ド
ルにしてくれよ、と。ドルの金額は3分の1なんですよね。210ペソだから、70ドルですよ、と。それで、じゃあ日本円でなんぼだな、と計算つくもんです
から(笑)」
臼井 「必要最小限度のことを絞り込んで(笑)」
喜田 「ペソからドルに換えて、ドルから日本円に換えて買い物してきたの。それでも買えたんだもんね。そこに必要なスパイスは何だったのかって、咲顔ですよ。だから僕は“咲顔は世界の共通語”って言ってるんだよね。笑顔はすごく大事にしてる。」
臼井 「そうですね。どの会社に入っても、もっとも大切なのは本当は咲顔だと思うんですよ。がははと笑うんじゃなくて、口角を上げると自然にでる
じゃないですか、白い歯がちょっとのぞくように。それは本当に、どんどんやるべきだと思うんですよ、特に外国人相手の場合は。やってるうちに自然にできる
ようになってくる。年齢にもよるとは思うんですが、それを恥ずかしいだとか、特別のことのように思ったりしてしまうことって、あるんじゃないかなと思うん
ですね。それが日本人が海外に出たときについ作った含み笑い?に転訛してしまっているんじゃないでしょうか。日本人が海外に出たときの弱さというのは、そ
こにある気がします。」
喜田 「だから僕は咲顔だけで勝負してきました。もうあとの言葉は全然。アルゼンチンのときは“Hola!”と“Gracias!”、この2つだけ
です。あとはもう全然わからない。店の人はわーっ言うけど、後は咲顔だけで買い物してきました。だからやっぱり、人間対人間、人対人、心対心っていうの
は、言葉や文化が違っても、笑顔で通じるんだな、と思いましたね。」
臼井 臼井「例えば、鉄仮面のような顔で『どうもありがとうございました、感謝してます』って言ったって通じない。どんなに気持ちがこもっていてもね。
だからボディーランゲージと、それから咲顔。気持ちがにじみ出ないとね。それは、人と多く接して、痛い目にもあって、キャッチボールをしていく中で磨かれ
ていくんだなぁと思いますね。」
喜田 「そうですよね。インターネットが発達して、時差はあっても情報は瞬時に入る。そうなると、やっぱり日本国内だけ、というスタンスじゃあ駄目
なんですよね。だから僕はニューヨークだとか、アルゼンチンだとか、、ハワイだとか、イタリアだとか、いろんな国や場所に行くわけですよ。いろんな文化を
見た上で、さて自分の持っているこの能力をどう生かすかっていうのをね、チェックしたい。今年も7月からタイに行くんです。タイは“微笑みの国”って言わ
れてるんで、自分のコミュニケーション能力をちょっとチェックしたいですね。」
喜田 「僕はまあ、こんな年齢なんだけど、やらにゃいかんことがまだまだ山ほどあるんでね。今もすっごい楽しいんです、人生が。いつか60歳以上の人を集めてね、今から60年の体験を生かして、何か世の中に貢献できる大きな団体を作りたいなと思ってるんです。」
臼井 「それ、ぜひお願いします。私が関わっている教育機関も、勉強する機会を敢えて放棄することはない、どんどん難しい資格に挑戦しようというこ
とで、60歳以上の人を対象にゼミを設けたんです。60歳以上の人を集めてですね、要するに競争させるんですよ、いい意味で。そうしますとね、最初は、記
憶力落ちてるとか、集中力落ちてるとかって口にするんですけど、ハンデと思っていることをバネにしだすとね、ものすごい。若い人はかなわないですよ。経験
値があるから、それを活かして、じゃあどう努力したらいいかってのを自分で切り開いていく。しかも、上達がすごく早いんですよね。」
喜田 「それが悪いとは思わないんだけど、孫のお守りするとか、家庭菜園するとか、年金でどうだっていうのが多いじゃないですか。」
臼井 「もったいないですよね。」
喜田 「すごく能力あるのにね、そこで止まっている人が多いので、その60年の経験を今の若者にフィードバックしていくための『接点』の場を設けるのもおもしろいのかな、と。」
臼井 「それは是非! 例えば、60歳以上の人を優先的に雇用する会社だとかはあっても、教育の場でそれを実践しているところっていうのはありませんものね。」
喜田 「ないですね。だからそういうものにね、もっともっと我々も出て行かないと。ただ企業としてお金儲けのことだけを考えるじゃなくて、関わった
人がやる気を出したり、幸せになったり、あるいは倒産しないで済んだとか、分かれようとしていた夫婦がまたうまくいったとか、そういう意味で人に大きく影
響を与えていく人間になるのが、僕の大きな夢ですね。言ってみれば、死んだ後に価値の出る男になりたい。だから今燃えなきゃいかんと。」
臼井 「画家のようですね、有名な画家の方って亡くなった後ですよね。」
喜田 「だけどそれでいいんじゃないですかね。『死んだ後の評価』っていうと寂しい気もするけど、そうじゃない。そここそが一番人間としての価値じゃないかなと。今は生きている間に評価されてね、そればっかり求める人が多いけど、僕は違うと思うんですね。」
臼井 「いわゆる大物さんとかですね、ビックネームという方いらっしゃるじゃないですか、各業界に。それはそれでいいとは思うんですけども、その人
が亡くなって何年か経った時にあの人が残した業績どうのこうのとか、書かれた書物どうのこうのとか、そこで初めてね。20年30年経った時に、あの方が話
したことは今もって風化されてないとか、それが評価だと思うんですよね。だから私も、私はまだたかだか48歳なんですけども、やはりなるべくね、100歳 以上頑張って生きたい。社会にどれだけのメッセージを残せるかって考えると、100歳でも足りないくらい。」
喜田 「僕の考え方だけど、そういう生き方を目指してると、人間の基本がぶれないんじゃないかなと思うんですね。お金に行っちゃうとぶれてしまう。
『喜田寛、ああ、あの先生はいつも変わらなかったね』と。死ぬまでいばらなくてにこにこと楽しく包み込んでくれたね、という人生を歩みたいわけですよ。有名になるといばってみたりとか、そういう人いるじゃないですか。そうじゃなくて、初めて出会った時から死ぬまで変わらなかったね、というのが僕の夢なんで
す。そのためにはやっぱり一番中心になる部分をね、大事にしないと。考え方狂わすとそこが狂ってくるね。だから教室でも結構きついことをバシッと言います
よ。僕は人を結構見抜きますんで。きついこと言うんですけど、今は嫌われてもいいと。でも10年経った時に、あの時の喜田先生のあの言葉が、今の自分を作ってくれたと思ってくれたら、それでいいんじゃないかなと僕は思っていてるんです。」
臼井 「その時には自分のことばっかり見ているからわからないんですよね。私もありました。独りよがりになっちゃって。本当に的確なアドバイスをい
ただいても、辛辣な声としか捉えられなくて。だから、なんでこんなに私を痛めつけるんだとかね、思ってしまう時期があるんです。ところが、1年2年経った
時に、あの時あの方がこういう風に私に言って下さったこと、こういうことなんだって理解できるんです。感じ方の鋭い方ばっかりではないので、下手すると本
当に死ぬ間際になってはっきり気が付いたっていう人もいるかもしれない。でもそれでいいと思いますよね。」
喜田 「僕はね、そういう生き方をしたい。倒産して、言わば一回こけた男ですから、もう失うものは何もない。失うつもりでやればできないことは何も
ないですから、体当たりですよね。これが34歳くらいだとお金儲けに走るかもわからないけど、お金は持って死ねるわけでもないって、よく分かりました
し。」
臼井 「持って死ねないですよ、本当にそうですね。」
喜田 「だから、手に入れたお金を、これからのためにどう使っていくかっていうね。」
臼井 「やっぱり世の中のために使うのもいいし、貯めるのもいいし、あるいは社会貢献するためにいろいろ使うのもいいですけど、やっぱり回さないと。自分だけで抱え込んでいても、持っていけませんしね。私はどれも同感です。」
後編に続く→
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